あっちーの気まぐれブログ

だいたいグダグダ やっぱりグダグダ

「学校へ行かない選択肢」についてマジレスしてみる。

中島芭旺(baoくんと呼ばれている?)が提唱していることですね。さて、これについてマジレスしてみます。

 

まず、子供には小学校、中学校教育を受ける権利が保証されています。そして保護者にはそれらを受けさせる義務が課されています。ここで問題になってくるのが「学校へ行かない理由」です。理由として許されるのは、今後学校生活を送るための手段として学校を休むというものでしょう。つまり虐めを受けている生徒が休む理由である「今後学校生活を受けるため精神愛艇を得るための手段としての一時的な休学」は咎められるべきではありません。

 

では、彼のような「学校へ行くこのを放棄し、自分の好きなことを行う」という理由での休学はどのようなものでしょうか。私は許されるべきでないと思います。まず、人間は子供であれ大人であれ社会的存在とされています。そして日本が義務教育を受ける必要があるとしているなら受けなければなりません。仮にそれらが一切必要のないものであり無駄なものであるとしてもです。それらを拒否するということは社会の規範に背く、いわゆる社会的な存在でなくなるということです。

 

では、社会的存在であることが正しいか。これはもう哲学の範囲になってきますね。私は哲学を学ぶ上では社会的存在である必要があると考えます。哲学とは「現在あるものをもう一度見直す」ということです。そして見直すためには対象が俗にどのようなものか理解し、体験しておく必要があります。彼は義務教育をリタイアしているわけですから義務教育が俗にどのようなものか、自分ではどのように感じるか理解していません。そのような不完全な状態から生まれる哲学は只の屁理屈でしかありません。「学校なんて必要ない!」というのならばまずは学校を知ることから始めなければなりません。それと同じように社会的存在であることに対する疑問も社会的存在になることから始めなければなりません。

 

これらの長ったらしい頭の悪そうな文章を二行でまとめると

 

ガタガタ言うな。学校行け。

文句はそれからだ。